聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

キリスト的断捨離

「だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」-ルカ14:33-

 

最近、家の物を整理し、要らない物を捨てる「断捨離(だんしゃり)」という言葉をよく聞きますが、ご存知ですか?

信仰生活にも断捨離が必要です。主イエスは「自分の持ち物を一切捨てなさい」とおっしゃっています。

 

1.この聖句の言う「持ち物」とは何か?

 

一言で言えば、キリストを信じる前の習慣、考え方、感情、価値観です。

 

例えば

・罪     :偶像礼拝、人に対する憎しみ、妬み、嘘、浮気、盗みなど。

・生き方   :仕事一筋の生活、科学第一主義、金儲け主義など。

・心の傷   :いじめ、虐待、失敗、別離、喪失などによる不健全な感情。

・文化、伝統 :神仏礼拝、空気を読む、タテマエなど古い習慣、価値観。

・実際のこと :職業、財産、交友関係、趣味、住む場所など。

・その他いろいろですが、これがパウロが言うところの「肉」です。

 

2.「肉」を断捨離

 

肉の望むところは、霊に反し、霊の望むところは、肉に反するからです。肉と霊とが対立し合っているので、あなたがたは、自分のしたいと思うことができないのです。」-ガラテヤ5:17-

 

ですから聖霊が示される「肉」を一つ一つ断捨離していきましょう。

そうすれば内側に住む御霊が大きく表れ、その人をキリストの似姿へと変えてくれます。

難しいのは、文化のように一見良さげに見えるゴミ(肉)もあることです。やはり思いきって捨てましょう。捨てることをしないでゴミを放置すれば、せっかくの美しい部屋はごちゃごちゃ台無しです。聖書では「捨てる」ことを強力に薦めています。

 

3.断捨離の経験

キリストに出会ったとき、それまでの悪習慣や文化的偶像礼拝を断捨離しました。夫が外国人なので、異文化摩擦の中で日本独特で且つ聖書に反する習慣文化を断捨離しました。ある時は、母教会がカルト化したので断捨離しました。脱会するのはある意味簡単でしたが、そこで身に着けたカルトの教えを精査して捨てるのは大変な作業でした。そして、ある時は夫の仕事の都合で地方の田舎に移住したのですが、その時は、それまでの私の仕事、ボランティア、そのあらゆる人間関係としがらみを断捨離しました。

結果として・・・・スッキリ!自由になりました!

皆さまもぜひ、この自由を味わっていただきたいです。

実際面でも、断捨離派になり、モノがない方が気分が良いミニマリストになりました。

 

4.聖書の中には「断捨離」、「捨てなさい」がいっぱい!

 

聖書をこの「捨てる」というキーワードが溢れていることが分かります。

 

「二人はすぐに網を捨てて従った。」-マタイ4:20-

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」ーマタイ16:24ー

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」ーマタイ19:29ー

「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」ーマルコ8:34ー

「もし片方の手があなたをつまずかせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい」ーマルコ9:43ー

「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててエスに従った」ールカ5:11ー

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」ーヨハネ15:13ー

「また、魔術を行っていた多くの者も、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を見積もってみると、銀貨五万枚にもなった」ー使徒19:19ー

「日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て」ーロマ13:13ー

「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、」ーエフェソス4:22ー

「互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て」コロサイ3:9

「その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え」ーテトス2:12ー

 「こういうわけで、、、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」ーヘブ12:1ー

「だから、あらゆる汚れやあふれるほどの悪を素直に捨て去り、心に植え付けられた御言葉を受け入れなさい。」ーヤコブ1: 21ー

「だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って」ーペトロ2:1ー

「イエスは、わたしたちのために、命を捨ててくださいました。そのことによって、わたしたちは愛を知りました。だから、わたしたちも兄弟のために命を捨てるべきです」ー1ヨハネ3:16ー 

 

5.捨てることは霊的割礼

そして「肉」を捨てることは、次の聖句のように本来の霊的な割礼を表しているのですね。割礼すれば、内側から、キリストが輝きだします! 

  

「あなたがたはキリストにおいて、手によらない割礼、つまり肉の体を脱ぎ捨てるキリストの割礼を受け」ーコロサイ2:11ー

「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません。内面がユダヤ人である者こそユダヤ人であり、文字ではなく霊によって心に施された割礼こそ割礼なのです。そのような人は、人からではなく、神から誉れを受けるのです」ーローマ2:8ー

 

スッキリと断捨離をすることは、終わりのための大切な用意です。

終わりのための用意 - 聖書の知恵

キリストに一目惚れ

私は、約40年前、イエスキリストに一目惚れして、それ以来キリスト一筋の人生を歩んでいます。本日はその出会いについて、お話しします。

 

1.引きこもり生活の中で信仰告白

大学生当時、私は対人恐怖による「引きこもり」で苦しんでいました。当時、ネットもなく、「引きこもり」という言葉もなく、精神病についてもあまり知られていなかったので、私は「世界で一番ダメな死ぬべき人間だ」と心底思っていました。

 

ところが、たまたま大学近くでアメリカ人宣教師がやっている「英会話カフェ」に足を踏み入れたことから、人生が大きく変わったのです!

そこで悩みを相談したとき、勧められるまま軽い気持ちで「主イエスキリストを信じます」とお祈りすることになりました。ただ、私は、科学的思考の無神論者だったので、実際は全く信じていませんでした。教会にも通い始めましたが、説教も聖書も全く意味がわかりませんでした。

 

2.罪の悔い改め

ある日、教会の牧師婦人が私に言いました。

「あなたはイエスキリストを一番にしなくてはいけませんよ。」

意味は、やはり理解できませんでしたが、なぜかその言葉が心にグサッとささって胸が本当に痛むのです。不思議な思いと引きこもりの苦しさから、思わず祈りました。

「神様、どうして、こんなに生きるのが苦しいのですか?」

すると、自分の心にある思いが沸き上がってきました。

 

「それは、あなたに罪があるからです。」

 

この瞬間から、格闘するような祈りが始ったのです。声が聞こえるわけではありませんが、人から助言を受けたり、心に思いが浮かんだり、聖書の言葉が目に飛び込んできたりして、だんだん神様との会話が始まったのです。

 

「時は満ち神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」-マルコ1:15-

 

まずこの言葉が心に響きました。

 

3.イエスキリスト以外を神とする偶像礼拝

 

「でも何を悔い改めるの?」

と祈ると

「あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」-マタイ4:10-(新改訳)

という言葉が目に飛び込んできて、

「神は、唯一。主イエスと同時に他の神々に仕えたり、他のものを一番大切にすることは罪になる。」

と理解しました。聖書でいう偶像礼拝の罪です。それで、それまでにお参りした神社の神々、仏教、占い、迷信、神社仏閣由来の行事、風習などを一つ一つ悔い改めました。

 

さらに私にとって大きな存在だった父親という偶像、すごく信頼して慕っていた先生やリーダーのことも悔い改めました。主イエスを無視し、そういう人達のことを神のように頼りにして、従っていたからです。

 

さらに科学第一主義の無神論、お金が一番大切という拝金主義、仕事第一主義、学歴主義、美意識などについても悔い改めました。聖書より優先している価値観や考え方は、ひとつの偶像礼拝であるということだからです。

 

さらに日本では、美しい自然を神とする自然崇拝、お天道様という太陽礼拝、ひとが作ったモノにも神が宿るとするモノ信仰等、文化や生活習慣の隅々に偶像礼拝が染み込んでいます。これも悔い改めました。

 

他にも、嘘、妬み、怒り、憎しみ、浮気等のいわゆる罪も悔い改めましたが、中心的には、イエスキリスト以外で優先している偶像を徹底的に悔い改めました。それは結局、イエスキリストを「神としていない罪」「主としていない罪」「信じていない罪」なのです。そして、その都度、

「○○を捨てます。イエス様だけが神様です。イエス様だけに仕えます。」

と宣言していきました。

 

4.想像をはるかに超えた素晴らしい神

何日か不眠不休で祈り続けた、ある明け方のことです。突然、次のような思いが光のように一瞬にして私の心を照らし、私は神の愛を実感しました。

「万物を創造された神、主イエス・キリストは生きておられる!主は私のすべてを知っているし、汚い罪の部分も全部知っているけど、私の罪は、すべて赦されました~!!実は悪魔が、この世を支配していて、私は今まで悪魔の支配下にいましたが、神を信じ、生まれ変わって、神の支配下に入りました!!私は神の子です。

私は主イエス・キリストに愛されています!!!」

 

そして叫ぶように祈りました。

「主よ!あなたは想像をはるかに超えて、素晴らしい方です。あなたに一生ついていきます!」その直後、深い眠りに落ちていきました。

 

5.クリスチャンとして人生の再出発

「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。 」-2コリント5:17- 

 

朝、目が覚めると、強烈な喜びと大海のような平安が心の底からあふれてきました。

私の心は生まれ変わった(聖霊を受けた)のです!新しい人生の創造です。

対人恐怖、引きこもりも癒されました!その後、一歩一歩導かれ、学校復帰、就職、結婚、、、、、試練もたくさんありますが、祝福された人生を歩んでいます。

まさしく、キリストに一目惚れでした。この出会いの感動は、今でも涙なしに語れないほど、活き活きとよみがえります。

 

まだ、キリストを信じていない方がこれを読んでいたら、知ってほしいです。

エスキリストは、今、想像したことをはるかに超えて、素晴らしい神ですよ。

ぜひ、体験し、味わってくださいね。

 

「目が見もせず、耳が聞きもせず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、

神は御自分を愛する者たちに準備された」-1コリント2:9-

 

アーメン!

 

救われるためには(天国への第一歩) - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

信じた後は?(天国へのプロセス) - 聖書の知恵

信じたらどうなる?ビフォーアフター - 聖書の知恵

 

 

I Fell in Love with the Lord Jesus at First Sight!

I fell in love with Jesus Christ at first sight about 40 years ago and have lived a Christ-only life ever since. Today I would like to talk about that encounter.


1.  Confession of faith in the midst of withdrawing from society

When I was a college student, I was suffering from “withdrawal from society" due to fear of other people. At the time, there was no Internet, the word “hikikomori” did not exist, and not much was known about mental illness, so I truly believed that I was the worst person in the world and should die.

However, my life changed drastically when I happened to walk into an English conversation cafe run by an American missionary near my university!

When I discussed my problems there, I prayed “I believe in the Lord Jesus Christ” with a very light heart. However, I was a scientific-thinking atheist, so I actually did not believe at all. I started attending church, but I did not understand the sermons or the Bible at all.


2.  Repentance from sin

One day, one of the sisters in the church said to me, "You must put Jesus Christ first."

I still did not understand what she meant by that, but for some reason, those words struck a chord in my heart and my heart ached. Out of a sense of wonder and the bitterness of shutting myself in, I prayed without really thinking, “God, why is the way I’m living so painful and hard?”

Immediately, a thought arose in my heart.

"It is because of your sin.”

From that moment on, I began to pray as if I were wrestling. I did not hear voices, but I received advice from others, thoughts came to my mind, and words from the Bible jumped off the pages as I read them, and gradually I began to have conversations with God.

“The time is fulfilled, and the kingdom of God is at hand; repent and believe in the gospel.”  (Mark 1:15, NASB)

First of all, these words resonated in my heart.


3.  The sin of making anything other than Jesus Christ my God

“But repent of what?” I thought.

Suddenly, the Bible verse, 

“You shall worship the Lord your God and serve Him only.” (Matthew 4:10, NASB)

came to mind, and I understood that “There is only one God. It is a sin to serve other gods at the same time as the Lord Jesus or to value other things more than Him.” 

This is what the Bible calls the sin of idolatry. So I repented one by one of the gods of the shrines, Buddhism, fortune-telling, superstition, rituals and customs held at shrines and temples, etc. that I had believed in before. 

I also repented of putting my father, who was a big presence in my life, and my teachers and leaders, whom I trusted and admired very much, ahead of Jesus in my life. I had ignored the Lord Jesus and relied on and followed such people as if they were gods.

I also repented of my science-first atheism, my worship of money, my work-first mentality, my academic background, my sense of beauty, and so on. The values and ideas that take precedence over the Bible are a form of idolatry.

Furthermore, in Japan, idolatry is ingrained in every corner of our lives and customs, such as nature worship that deifies beautiful nature as God, sun worship that deifies the sun as the providence of the heavens, and belief in  that God even dwells in objects made by humans. I repented of this as well. 

I also repented of other sins, such as lying, envy, anger, hatred, and unfaithfulness, but at the core, I thoroughly repented of giving priority to any god other than Jesus Christ. I other words, this is the sin of not having Jesus Christ “as God,” “not having Him as one’s Lord,” and “not believing in Him”. 

And each time, I realized the things in my life that were “gods”, I made the declaration,

“I renounce ____________ . Jesus alone is God. I will serve only Jesus.” 


4.  Jesus is a God far more wonderful than I had ever imagined

After several days of prayer, one day at dawn, I suddenly had the following thought, which illuminated my heart like a beam of light, and I realized the love of God.

“The Lord Jesus Christ, the God who created all things, is alive! He knows everything about me and all my dirty sins, but all my sins are forgiven! Actually, the devil is in control of this world, and I have been under the devil’s control, but I believe in God now. I have been born again, and I am now under God's control! I am a child of God.

I am loved by the Lord Jesus Christ!!!” 

Then I prayed as if shouting.

“Lord! You are wonderful, far beyond anything I can imagine. I will follow You for the rest of my life!” Immediately after that, I fell into a deep sleep.


5.  A fresh start in life as a Christian, healing from the fear of others

“If anyone is in Christ, he is a new creation. The old has passed away; behold, the new has come.” (2 Corinthians 5:17, ESV) 

When I awoke in the morning, intense joy and peace, like an ocean, flooded the depths of my heart.

My heart was reborn (I received the Holy Spirit)! This is the creation of a new life.

My fear of other people and withdrawing from society were also healed! After that, I was led step by step by Jesus, returned to school, got a job, got married, …  Yes, I have faced many trials,  but I am living a blessed life.

It was truly love at first sight with the Lord Jesus. The emotion of this encounter comes back to me so vividly that I cannot talk about it without tears even now.

If there are people reading this who do not yet believe in Jesus Christ, I want you to know Him, too.

Jesus Christ is an amazing God, far beyond anything you can imagine right now.

I hope you will experience and taste the joy and wonder of knowing Him.

 

"Eye hath not seen, nor ear heard, neither have entered into the heart of man, the things which God hath prepared for them that love him. "-1 Corinthians 2: 9-

 

 

 

生ぬるい信仰ではないですか?

「ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。・・・・
このように、熱くもなく、冷たくもなく、生ぬるいので、あなたを口から吐き出そう。・・・・
だから、熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。」(黙示録3:14-20、抜粋)

 2011年、東日本大震災の時、私は、このみことばを私たち現代のクリスチャンに向けたメッセージとして受け取りました。
終わりが来る前に、これだけは確認しておくべきこと・・・それは、


「私たちの信仰は生ぬるくないだろうか? 私たちの信仰はホンモノだろうか?」

ということです。聖書は

熱い・・・・・・ホンモノのクリスチャン

冷たい・・・・・未信者

生ぬるい・・・・自分はホンモノだと信じているけど、実は勘違いクリスチャン

だと言ってます。だから、主は生ぬるい人の心の戸をノックしているのです。


このことについて多くの人と話し合い祈ってきました。そして、なんと!

「信仰によって救われる」という福音は各教会、教派によって違うということが分かったのです!!

例えば

キリストを個人的な救い主と信じれば救われる?

使徒信条を信じれば救われる?

悔い改めて使徒信条を信じれば救われる?

使徒信条を信じ、キリストを主とすれば救われる?

使徒信条を信じ新生すれば救われる?

新生し、最後まで信仰を捨てなければ救われる?

救いは神の選びによるので、一度信じたら、何をしても救われる?

その他、洗礼すれば、教会に行けば、異言を語れば、、、、、

 

どれが本当なのでしょうか?私にはまだ確信がありません。ただ、聖書的でなければ救われないというのだけは確かです。

一番恐ろしい(!)のは自分の信仰がホンモノか?なんて、誰も気にしていないことでした。。。

厳しくいえば、ホンモノは少数で、その他大勢は生ぬるい信仰だということです。事実、ラオデキヤ教会では、多くが「勘違いクリスチャン」だったそうです。
み言葉によると、主イエスは私達の心をノックしながら、こう叫んでいると感じます。

「あなたが救いと信じているものは本当に聖書的ですか?今、悔い改めて、ホンモノの救いを受け取りなさい!!」

ですから、全てのクリスチャンの皆さまにお願いしたいと思います。

どうぞ今、ちょっと立ち止まって、ご自分の救いがホンモノか、確認してみてください!これは他人が口出しするのではなく、ひとり一人が主と向き合うしかないと思っています。

皆「信仰によって救われてる」と言いますが、以下のことを問いかけてみてください。

 

・ご自分を死ぬべき罪人だと認め、悔い改めましたか?
天地創造の主、三位一体の神が、罪の刑罰から人間を救うために、エスキリスト十字架にかけ葬り、3日目に復活させたこと(使徒信条)を信じましたか?
・全ての神々偶像を捨ててイエスのみを「」としましたか?
・信仰の結果であり、しるしである聖霊を受け、新生(ボーンアゲイン)しましたか?

・信じた後、聖化され、御霊の実を結び続けていますか?

・一度救われても、不従順によっては背教もあると心得てますか?
・以上のことをタテマエではなくホンネで実践していますか?

・その他

 

信じたばかりの人は、まだしも、何年もたっている人はわかるはずです。 

確認してみて、ご自分の信仰がホンモノだとわかれば、改めて喜びましょう!

逆に、もし問題があれば、悔い改めて方向転換すればよいのです。平和な今のときなら、安心して悔い改められます。

生ぬるい信仰ではホンモノのクリスチャンといえません。私は、2011年からずっと自分の信仰を検証しています。

ともに祈りましょう。

「主よ!私の信仰は、生ぬるくないですか?」

終わりのための用意

「だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子(キリスト)が来るからである」-マタイの福音書24:44-

 

30数年前、対人恐怖症をきっかけにイエスキリストに一目惚れした主婦のクリスチャンです。お陰で対人恐怖症から回復し、人生は祝福されています。

ところで聖書には、キリストは世の終わりに再びやって来ると書いてあります。

いわゆる「再臨」です!

最近の世界情勢を見ていると、その時は近いと感じませんか?

心配したり、怖がったりすることは無用です。必要なのはアクションです。いつキリストが来られてもいいように粛々と用意をしなくてはいけません、、、

でも、いったい何をどう用意すればいいのか、、、、???

 

そんなことをあれこれ考えていきたいと思っています。

クリスチャンではない一般の方には少しわかりづらいコメントが多いかもしれませんが、よろしくお願いいたします。

 

「然り、わたしはすぐに来る。」アーメン、主イエスよ、来てください。

                       -黙示録22:20-