聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

今は暗黒時代です

もし、「今が中世ヨーロッパの暗黒時代と同じだ!」と言ったら、どう思いますか?

暗黒時代と言えば、カトリックによる、異端裁判、魔女狩りなどが横行した時代です。悪名高いのが免罪符です。「これを買えば罪が赦される」というもので、このような教理に反対したのが有名なルターやカルバンの宗教改革です。

問題は、この時代の大多数のクリスチャンは、異端裁判や免罪符を正しいと信じていたことです。つまり皆、惑わされていたのです。

 皆さんはどう思いますか?

かわいそうな人達?愚かな人達ですか?

 もしそう思ったとしたら、皆さんも惑わされているかも知れません。

そして、今は以前よりもっと狡猾な暗黒時代になっているのではないでしょうか。

 その理由をいくつかあげたいと思います。

 

1.聖書が現代のクリスチャンを黙示録の7つの教会で最も堕落しているラオデキヤ教会と同じだと警告しているからです。

 

 「熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。あなたは、『わたしは金持ちだ。満ち足りている。何一つ必要な物はない』と言っているが、自分が惨めな者、哀れな者、貧しい者、目の見えない者、裸の者であることが分かっていない。」-黙示3:17- 

 

この聖句は現代の教会への警告だと多くの人が言っています。でも、それを自分のことだとは思わないようです。自分は、みんな一緒だから大丈夫と勘違いしているのではないでしょうか。

 

2.ルターたちの宗教改革は、未完成だから。

 

宗教改革は素晴らしい一歩でしたが、完成していません。それどころか、また、形式化して、死んだような信仰になっていませんか?

幼児洗礼や教会の権威などカトリックの誤りは残ったままです。

さらにカトリックから離れて、カトリックの良い部分まで捨ててしまったところがあると思います。例えば、「行い」です。「行いによって救われる」は間違いですが、「本当の信仰には行いがともなう」という教えを捨てて、ヤコブ書を「藁の書」としてさげすんでいたことは有名です。

プロテスタントは全体的に知識が重視され、感情を否定するので、神の愛の大切な実質が分かりにくくなっている。愛は、知識ではなく、体で実感するのものです。

本来なら、使徒行伝の信仰、その中の弟子たちのような信仰にまで、回復すべきだったと思います。

 

3.偽教師、偽の教えに惑わされているから。


「終わりの時には、惑わす霊と、悪霊どもの教えとに心を奪われ、信仰から脱落する者がいます。」1テモテ4:1

「このように書くのは、人を惑わす者が大勢世に出て来たからです。彼らは、イエス・キリストが肉となって来られたことを公に言い表そうとしません。こういう者は人を惑わす者、反キリストです。」2ヨハネ

 

最近の教会を見ていると

「どんな宗教でも救われる」というエキュメニカル運動に賛同してます。

「聖書は全て誤りなき神の言葉というわけではない」というリベラル派がいます。

「救いの教義は教派によってバラバラ」で、どれがホンモノか?分かりません。

「あなたはそのままでいいよ。」等のニセモノの愛がはびこっています。

「繁栄の神学」等、いろいろな怪しい教えが、次々と登場しています。

教会のカルト化」が進んで、多くの人が教会で被害を受けています。(私も世界で一番素晴らしいと思っていた母教会がカルト化!つまり、惑わされていたのです。)

カルト化した教会からの脱出 - 聖書の知恵

 

4.結果として大勢のクリスチャンが広い門に向かっている

 

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」 -マタイ7:13,14-

 

2011年の大震災の中で、神は多くの方に語りかけられましたが、私はこの聖句を日本の教会に対して頂きました。多くのクリスチャンが滅びの広い門に向かっているというのです。こんなにすごい惑わしはありません。

このことを通して、自分の教会が、教団が、今のキリスト教そのものが、み~んな一緒に惑わされているかもしれないと感じるようになりました。

「私たちは本当に天国にいけるのでしょうか?」

今、考えるべきです。

 

5.ホンモノの印・・・聖霊の内住が曖昧

 

「信仰によってのみ、救われる」と宣言したプロテスタントですが、その後、惑わしの教えが忍び込み、結果として教会がマタイ25章の「10人の乙女」となっていると思えます。そのうちの「愚かな5人」は救われていないのです。では賢い乙女、ホンモノの印とは何でしょう?

それが「灯の油」でたとえられる聖霊の内住」です。

ホンモノのクリスチャンとは、信仰の結果、聖霊を受けキープしている人のことです。

 

「神の霊があなたがたの内に宿っているかぎり、あなたがたは、肉ではなく霊の支配下にいます。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。」ローマ8:9

「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり~」エフェソ1:13-14

 

ところが、ホンモノの印「聖霊の内住」がなんとなく曖昧になって、多くの人がまだ、新生(ボーンアゲイン)していない、つまり神の子となっていないようです。

 

今は、かつてない程の暗黒時代だと思います。

 

信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)