これまで、自分の救いの体験談をたくさんしてきました。信じて聖霊を受けた時、聖書に書いてあること、すなわち
「イエスキリストは神である。 その神は私を愛し、私のどうしようもない罪を赦してくれた! 今までの私は全て捨て、この素晴らしい神様について行きます!」
ということを心の底から理解し、ボーンアゲイン(新生)したという話です。
キリストに一目惚れ - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
しかし、ボーンアゲイン(新生)に至るまでの話をしたことがありませんでした。 今回は,その体験談を通して、大切な救いの第一歩について分かち合いたいと思います。
1.きっかけは英会話カフェ
私がキリストに出会うきっかけは、大学のそばにある英会話カフェでした。 YOUTH with the mission と言う宣教団体が運営していました。300円のコーヒー代で、自由にアメリカ人等と英語が話せる素敵なカフェです。
英語には興味がありましたが、全くの無神論者であった私は
「キリスト教ではなく、英語にしか興味がないのですが、よろしいですか?」
と尋ねると宣教師たちは、満面の笑顔で
「OK !Please come in !」
と迎えてくれました。その時、初めて神の愛を肌で感じました。
その後、私はワーキングホリデーのような体験をするため、アメリカはサンフランシスコに行くことになりました。もともと引っ込み事案で、人間関係が苦手な私が、よくやったと今でも不思議です。宣教師たちの祈りのおかげでしょう。
初めてのアメリカは、驚くような自由の空気に満たされていました。今思えば、神の自由を感じたのだと思います。そして、そこで出会った人はなぜか、自分の宗教について話してくれました。道教、ヒンズー教、イスラム教、そしてキリスト教。。。。
2.日本に帰国、そして引きこもり
3ヶ月して帰国した時、アメリカとは逆に、日本の空気の重たさにびっくりしました。 ものすごく縛られていると感じました。今思えば、これが私のブログでよく書いている日本の空気、または、偶像の力なのだと思います。
ニッポン人が気付かずにしてる隠れた偶像礼拝 - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
ほどなく糸が切れたように人が怖くなり、もともとのうつ病が悪化し、引きこもりとなってしまいました。 まだ「引きこもり」とか「不登校」という言葉も存在しない時代でしたので、
自分は、なんてダメな人間なのか!
と自分を責め続け、自殺を本気で考えました。
そういうわけで大学には行けなくなりましたが、なぜか、英会話カフェには行くことができました。これも不思議です。
3.宣教師とともに信仰告白
そして小さなことをきっかけに、信仰告白の祈りをしたのです。。。。。。
「私は、罪人です。イエス様を信じます。どうか、助けてください」
でも正直なところ、心の底では、神の存在さえ信じられない者でしたし、キリストの救いについて理解していませんでした。教会には通い始めましたが、聖書の話はまるでチンプンカンプンなので、 自分では自己実現系の本などを読んで努力しました。
それらの本には、
「~すれば良くなる。だから、~をしよう。~の努力しよう。」
と書いてあります。その通りです。わかります。
しかし、ある時、私にはその「~をする力がない」ことに気づいてしまったのです。
以前も書きましたが、ダイエットでは、食べなければ、痩せるのです。わかっています!でも、食べ過ぎてしまうのです!(ちなみに食べ過ぎは罪ですよ)
ダイエットと信仰 - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
4.自分の罪を知る、地獄の体験
結局、~をする力がなければ、このダイエットと同じで、いくら勉強したり修行しても、変われないのです。でもいろいろな本がこのように言います。
「ポジティブに考え、謙遜になって、人の幸せを願っていけば、あなたの人間関係は良くなる、、、、、」
分かっています!でも!ポジティブにも、謙遜にもなれないし、人の幸せはどうしても、妬んでしまう!!!私は努力しても変われない!
結局、宗教とはどうすればいいかは、教えるけど、その力は与えてくれない。
この事実に気づいてしまった時、
自分の足元がガラガラ ~!と 音を立てて崩れ落ち、同時に、私も暗い奈落の底に、どこまでも、どこまでも、落ち続けるような気がしました。私は、自分の力では変わることができない、、、
これは私にとって、まさに地獄でした。
5.ボーンアゲインのためにどうしても必要なこと
まさに、その時、教会である預言の言葉を受けたことをきっかけに、聖霊の導きが始まり、ボーンアゲイン(新生)へと導かれました。それで、
キリストは宗教ではなく、新しく生きる力、新しい創造なのだとわかったのです!
「だから、誰でもキリストにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、まさに新しいものが生じたのです」 2コリント5: 17
キリストに一目惚れ - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
今思えば、あの地獄の体験は、聖霊によるものだとわかります 。人間は良いことをしようと思っても、決して、心の底から変わることはできない、、、 この理解が
「私はどうしようもない罪人です。神様の救いが必要です。」
ということなのです。
そして、この理解が、救われるためには、絶対に必要なのです。このことを多くの人は、頭では理解しても、心で、受け止めていないように思います。
以下の聖句の通りです。
イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
マルコ2:17
イエスは言われた。「見えなかったのであれば、罪はなかったであろう。しかし、今、『見える』とあなたたちは言っている。だから、あなたたちの罪は残る。」
ヨハネ9:41
皆さんは、
自分は、病人(罪びと)で、医者(キリスト)が必要だ
自分は、(霊的に)盲目で、(救いの道が)見えないので、(真理の)光が必要だ
という思いをもって信じましたか?
この思いが無ければ、本当に悔い改めることはできません。本当の悔い改めが無ければ本当の信仰、本当の新生(ボーンアゲイン)に導かれることはありません。
この思いが、救いにはどうしても必要な、大切な第一歩なのです。
救われるためには(天国への第一歩) - 聖書の知恵 (hatenablog.com)