昨日8月15日は、太平洋戦争76年目の終戦記念日でした。
先日の原爆記念日をはじめ、各地で追悼のイベントが、行われました。
また、あの戦争に関する様々なドキュメンタリーが放送されています。
76年ですから、戦争体験を記憶する人々が、ごくごく少数となってしまっていますが、その悲惨な現実をしっかりと語り継ぐことはとても大切です。
今は、私達日本人が、戦争について改めて考えるべき時なのだと思います。
またクリスチャンとしては、この戦争がどのように信仰を破壊したか?を
日本とドイツの歴史的事例を挙げて考えてみましょう。
1.日本の教会による偶像礼拝
第二次世界大戦では多くの人が、通常ではありえない悲惨な経験をされました。
ではキリスト教会では、どんなことが起きたのでしょうか?
聖書キリスト教会の尾山令仁牧師の話を聞いてみましょう。
日本のキリスト教会が戦時中に犯していた罪を告白します - YouTube
内容を簡単にまとめてみました。
**************************まとめ始め*******
・政府の統制が強くなり、教会を掌握するために、プロテスタントの教団を一つにまとめ、「日本基督教団」が誕生した。
・政府により、天皇崇拝、神社参拝の要請が全国的に始まる。各学校や団体で強要されたが、教会にもその要請が来るようになった。
・政府や特高警察を恐れた日本基督教団は「宮城遥拝(天皇崇拝)や神社参拝は、国民儀礼(日本の文化)であり、偶像礼拝には当たりません。」と指導し、信徒も従った。
・各教会には神棚が設置されたり、伊勢神宮のお札を祭ったりし、信徒は、それに従った。
・この事実については、多くの教会は語ろうとしない。何十年もたってやっと戦争責任告白(日本基督教団)を出したが、これは戦争責任ではなく、十戒の「わたしの他に神があってはならない。」を犯す、根本的な罪。この偶像礼拝を悔い改めないと日本の教会の祝福はあり得ない。
・天皇崇拝や神社参拝を偶像礼拝として、拒否した長老や、牧師達は逮捕、監禁、拷問をある方は殉教された。
・これは他人事ではない。誰でもこの状況下にいれば同じように反応したと考えられる。尾山牧師は自分の罪として、祈っておられる。
****************************まとめ終わり****
なぜ、このとき、「偶像礼拝」を正当化してしまったのでしょうか?
イエスキリストはこのようにおっしゃいました。
「人に惑わされないように気をつけなさい。私の名を名乗る者が大勢現れ、『私がメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争のことや戦争の噂を聞くだろうが、慌てないように注意しなさい。それは必ず起こるが、まだ世の終わりではない。」
マタイ24:5-6
また、「神道は宗教ではない」という政策は明治新政府からずっと続いてきた、タテマエ的「信教の自由」政策であり、ホンネは政教一致の国家神道だったのです。
尾山牧師が言うように、私もこの罪を自分のものとして、考え、祈っていきたいです。
2.ホロコーストを支えたドイツのクリスチャン
同じ第二次世界大戦の悲劇として有名なドイツのヒットラーによるホロコーストは、
いったい誰によって実行されたのでしょうか?
勿論ドイツ国民です。つまり、ドイツの多くのクリスチャン達です。
ヒトラーは「積極的キリスト教を支持する」と言いました。この「積極的キリスト教」というのは聖書からユダヤ民族の書いたものをすべて排除し、イエス・キリストがユダヤ民族であることも否定されました。
そして「徹底的にユダヤ教と戦うべきだ」と主張したのです。
こんな恐ろしい「キリスト教」に従ってしまった教会やクリスチャンが少なくなかったというのは残念なことです。そしてその人々がユダヤ人虐殺に協力していったのです。恐ろしいのは、それを悪いと感じていなかった人が多いということです。
勿論このナチスに反対の手を挙げたクリスチャン達もいてボンヘッファー等が有名ですよね。ディートリヒ・ボンヘッファー - Wikipedia
最近、やはり、このホロコーストに協力していたというノルウェーの人々の実話に基づいた映画「ホロコーストの罪人」も話題になっています。
70年間、隠蔽されてきたノルウェー最大の罪・衝撃の実話/映画『ホロコーストの罪人』予告編 - YouTube
ポーランドでも戦後60年にホロコースト協力した人々の事実が。。。
どうしてこのようなことが起きてしまったのでしょう?
それは、私達人間の弱さだと思いますし、残念ながら、歴史の中で繰り返されてきたことです。私達は簡単に流されて、周りの皆と一緒に、とんでもないことをしてしまうのです。
「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。」ヨハネ 16:2
3.自分の問題として考えてみよう!
この終戦記念日を良い機会として、戦争のことを他人事ではなく、自分のこととして考えてみませんか?
・もし自分が同じ状況に生きていたら、きっと同じことをするのではないか、、、、?
・もしかしたら、自分の中にそのような罪が潜んでいるのではないか?
・今は大丈夫だけど、今後もし、戦時中の日本やドイツのような状況になってしまったら、私も皆と一緒に偶像礼拝や、虐殺に協力してしまうのではないか?
・もしかしたら!今すでに、大きな惑わしの中で戦争へと流されているかも?!
この戦争という人間の醜さをはるかに超える
私たちの主、イエスキリストの勝利を誉めたたたえます!