聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

生ぬるい信仰ではないですか?

「ラオデキヤにある教会の御使に、こう書きおくりなさい。・・・・
このように、熱くもなく、冷たくもなく、生ぬるいので、あなたを口から吐き出そう。・・・・
だから、熱心になって悔い改めなさい。見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。」(黙示録3:14-20、抜粋)

 2011年、東日本大震災の時、私は、このみことばを私たち現代のクリスチャンに向けたメッセージとして受け取りました。
終わりが来る前に、これだけは確認しておくべきこと・・・それは、


「私たちの信仰は生ぬるくないだろうか? 私たちの信仰はホンモノだろうか?」

ということです。聖書は

熱い・・・・・・ホンモノのクリスチャン

冷たい・・・・・未信者

生ぬるい・・・・自分はホンモノだと信じているけど、実は勘違いクリスチャン

だと言ってます。だから、主は生ぬるい人の心の戸をノックしているのです。


このことについて多くの人と話し合い祈ってきました。そして、なんと!

「信仰によって救われる」という福音は各教会、教派によって違うということが分かったのです!!

例えば

キリストを個人的な救い主と信じれば救われる?

使徒信条を信じれば救われる?

悔い改めて使徒信条を信じれば救われる?

使徒信条を信じ、キリストを主とすれば救われる?

使徒信条を信じ新生すれば救われる?

新生し、最後まで信仰を捨てなければ救われる?

救いは神の選びによるので、一度信じたら、何をしても救われる?

その他、洗礼すれば、教会に行けば、異言を語れば、、、、、

 

どれが本当なのでしょうか?私にはまだ確信がありません。ただ、聖書的でなければ救われないというのだけは確かです。

一番恐ろしい(!)のは自分の信仰がホンモノか?なんて、誰も気にしていないことでした。。。

厳しくいえば、ホンモノは少数で、その他大勢は生ぬるい信仰だということです。事実、ラオデキヤ教会では、多くが「勘違いクリスチャン」だったそうです。
み言葉によると、主イエスは私達の心をノックしながら、こう叫んでいると感じます。

「あなたが救いと信じているものは本当に聖書的ですか?今、悔い改めて、ホンモノの救いを受け取りなさい!!」

ですから、全てのクリスチャンの皆さまにお願いしたいと思います。

どうぞ今、ちょっと立ち止まって、ご自分の救いがホンモノか、確認してみてください!これは他人が口出しするのではなく、ひとり一人が主と向き合うしかないと思っています。

皆「信仰によって救われてる」と言いますが、以下のことを問いかけてみてください。

 

・ご自分を死ぬべき罪人だと認め、悔い改めましたか?
天地創造の主、三位一体の神が、罪の刑罰から人間を救うために、エスキリスト十字架にかけ葬り、3日目に復活させたこと(使徒信条)を信じましたか?
・全ての神々偶像を捨ててイエスのみを「」としましたか?
・信仰の結果であり、しるしである聖霊を受け、新生(ボーンアゲイン)しましたか?

・信じた後、聖化され、御霊の実を結び続けていますか?

・一度救われても、不従順によっては背教もあると心得てますか?
・以上のことをタテマエではなくホンネで実践していますか?

・その他

 

信じたばかりの人は、まだしも、何年もたっている人はわかるはずです。 

確認してみて、ご自分の信仰がホンモノだとわかれば、改めて喜びましょう!

逆に、もし問題があれば、悔い改めて方向転換すればよいのです。平和な今のときなら、安心して悔い改められます。

生ぬるい信仰ではホンモノのクリスチャンといえません。私は、2011年からずっと自分の信仰を検証しています。

ともに祈りましょう。

「主よ!私の信仰は、生ぬるくないですか?」