オリンピック委員会の森前会長の女性蔑視発言、BLM(Black Lives Matter)黒人差別問題など、マイノリティの人々、差別されていた人々が声を上げて市民運動になったり、政治的になったりすることが、増えてきたと感じる今日この頃です。
LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、クイア)の方々も声を上げ、国によって同性婚が合法となったり、世界的なうねりになっているようです。
最近、LGBTQの方々と接する機会が多くなってきました。まだ、勉強不足で分かっていないことが多いと思いますが、今回は、LGBTQと信仰について考えてみたいと思います。
1.私の立場は?
ざっとネット情報を見ると、典型的なLGBTQ肯定派と反対派の二つに分断されているように感じます。私の立場はどちらでもない、と言いたいですね。
まず、私の立場を単純に説明するために、次の5つの質問に答えてみたいと思います。
(「LGBTと聖書の福音」 A・マーリン いのちのことば社)より
Q1 ゲイやレズビアンはそのように生まれたと思いますか?
A 両方のケースがあると思います。
Q2 同性愛は罪だと思いますか?
A はい。言いたくないけど罪だと思います。
Q3 LGBTQは変われるのでしょうか?
A はい。少しづつ、又は大きく変われると思います。
Q4 ゲイであり、クリスチャンであるということは可能ですか?
A はい。聖化は生涯かけて取り組むものです。
Q5 LGBTQの人は地獄に行くのでしょうか?
A 福音を信じない人が、地獄に行きます。
以上です。このような考えの人は、意外と少ないマイノリティのようです。
LGBTは罪? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
2.同性愛は罪です。そして勿論、救われます
当前のことですが、誰でも(LGBTQの方も)、
イエスキリストを神としてこなかった根本の罪を本気で悔い改め、
福音(十字架による義認と復活)を信じるならば、
というのが、聖書の救いです。
救われるためには(天国への第一歩) - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
ですから、LGBTQの方も悔い改めて福音を信じれば、たとえ変わらないままでもクリスチャン、神の子となり、神の愛に満たされるのです。
3.教会の差別の歴史
ところが今回調べてみると、キリスト教会は歴史的に、LGBTQの方々に対してひどい対応をしてきたことを知りました。つまり、
「LGBTQの人は救われない。」
「そういう人は教会に受け入れない。」等々
というのが、今まで多くの教会の考えだったというのです。
皆さんはどう思いますか?このようなことを考えたことがありますか?
これは差別です!
他の罪、例えばですが、姦淫、浮気。信仰に入るとき、または、信仰に入ってから、このような罪を犯しているクリスチャンはたくさんいるはずです。でも浮気をしているから、救われない、とか、地獄に行く、、、と言った話を聞いたことがありません。つまり、同性愛のことだけ特別に差別しているのです。
ですから、もし、皆さんの教会が差別をしてきたのなら、悔い改める必要があると思います。ちなみにカトリックは、この悔い改めを推奨しています。(この点はGood!)
4.差別の由来は、パリサイ人?
では、なぜ、このような差別が起きたのでしょう?
私は個人的に、パリサイ人と同じ罪が原因だと思っています。彼らは、徴税人や遊女を差別し、こんな風に祈りました。
「神様、私は他の(徴税)人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。」ルカ18:12
つまり、パリサイ人は罪を悔い改めることなく、自分を義人としていたのです。これでは神に受け入れられません。 またイエス様は、パリサイ人達を「偽善者、目の見えない者、蝮の子、地獄の罰を免れることができない」と糾弾していて、彼らの多くは救われませんでした。
ですから、私は、LGBTQの問題が、リトマス紙のようになっているのではないかと思っています。つまり差別する人は、パリサイ的クリスチャン(救われていない)の可能性が高いのではないかということです。
これは、私が2011年から受けている「現代多くのクリスチャンの信仰は生ぬるいので、悔い改める必要がある」というメッセージとも合致します。
生ぬるい信仰ではないですか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
5.LGBTQを容認(OKと)しない
ところが「差別をやめよう!」という思いが、今度は一転・・・
「LGBTQはOK!個性だからOK。神がこのように造ったからOK。同性婚もOK。」というLGBTQを容認する立場にシフトした教会が多いようです。
待ってください! 差別はダメですが。。。。しかしLGBTQを容認(OKと)するのも、ダメだと思います!
そうではなく、キリストの命と引き換えに、この罪を赦してくださった、その赦しの愛を受け取るのです。神様が赦してくださったその愛を、LGBTQの部分で実感して下さい!
ホンモノの信仰があれば、聖霊が内住され、この問題を助けて下さいます。勿論、これは難しく、複雑な問題だという点は承知しています。でも他の罪と一緒です。神に従い、悔い改めていく中で聖化されていくと思います。完全に変わってストレートになる場合もあると思いますが、そこまでいかなくても、一歩一歩進んでいくことが大切だと思います。
赦す と 許す - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
ちなみにカトリックは、同性婚はギリギリ認めないけど、LGBTQをほぼ容認しているようですね。(この点はNG)
6.問題は、LGBTQではなく、律法を変える罪です
私的には、結局、LGBTQのことで一番の問題は。。。。
「LGBTQの罪」ではなく、その「律法を変えてしまう罪」だと思います!
つまり、神の定められた律法を、人間が勝手に変えてしまうという、恐ろしい罪です。これは、ダニエル書における終末の反キリストと重なります。
「彼(反キリスト)は、いと高き者に敵して言葉を出し、かつ、いと高き者の聖徒を悩ます。彼はまた時と律法とを変えようと望む。」ダニエル7:25
例えば、「浮気(姦淫)してはならない」という律法を削除すれば、自由に浮気をすることができるわけですよね。でも、これは本当の自由ではないです。
LGBTQも今まで罪としていたものをOKと変えれば、一瞬、自由になるようですが、実際は自由ではないのです。
この聖書の律法を変えようとすることが、重大な問題なのです。
ちなみにカトリックは十戒の2番と4番を削除した歴史があります。(この点は凄くNG)
7.世界中に蔓延する「ニセモノの」愛
このようにして、これまで罪や悪とされていたものが、次々と良いことへと変えられているような気がします。その象徴と言えることが
「そのままのあなたで、いいよ」というニセモノの愛だと思います。今、教会と社会で、どんどん拡がっています。これは
「そのままでいいよ、罪のままでいいよ、罪ではないよ」。。。となっていき最後は
「仏教のままで、イスラム教のままで、そのままで救われるよ」。。。というエキュメニカル運動につながっていくのではないでしょうか?
これは、砂糖のように甘い甘~い、ニセモノの愛です!
この甘~い愛のスピリットが全世界にあふれているようです。
とんでもない!神の愛は、真理に基づく愛、聖なる愛、全て罪を赦す愛、でもどんな罪をも許さない(容認しない)愛、決してそのままでいいよ。。。とは言わない愛、
いわば塩味の愛です!
「人は皆、火で塩味を付けられる。塩は良いものである。だが、塩に塩気がなくなれば、あなたがたは何によって塩に味を付けるのか。自分自身の内に塩を持ちなさい。そして、互いに平和に過ごしなさい。」マルコ9:49-50
神? or ニセモノ? 見分けは大切! - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
8.聖書に立ち返ってホンモノの愛を知ってほしい
私は一番初めに「このどうしようもない罪を赦された~!」という実感が、神の愛の体験であり、喜びと平安の体験であり、自由の体験でした。
皆さんに、このホンモノの愛を体験してほしいと願っています。
特にLGBTQの方々に、この部分で容認(LGBTQはOK,個性だよ~)ではなく、
「キリストの命のゆえに、赦した!」というホンモノの愛を味わってほしいです。
キリストは私たちの罪のために十字架で死んでくださったのです。それが愛です。
一緒に祈りましょう。
主よ。 ホンモノの愛を教えてください。
アーメン