多くの教会では、
「一度救われたら、ずっと救われ、天国まで、救いは保証される」と教えています。
英語でよくいう「Once Saved Always Saved 」ですね。
これは、カルバン派をはじめとする教会の主流の教えになっていると思います。でも
それって本当でしょうか?。。。
いいえ!聖書は、そんなこと言っていませ~ん!勿論、そうであってほしいです。でも、私は
「救いは一度始まっても、天国までキープしないと失う」と考えています。
今回は、「ずっと救われる」か?「キープしないと失う」か?について考えます。
1.「ずっと救われる」の根拠1・・・カルバン主義
カルバン主義はこれをはっきりと打ち出しています。有名なチューリップ(TULIP)という5つ教えは、
T :人間の全的堕落 U :無条件的選び L :限定的贖罪 I :不可抗的恩恵
P :聖徒の堅忍
というものですが、最後の「聖徒の堅忍」というのが、まさしく、「一度救われたら、その救いの運命は最後まで保証される」というものです。
でもカルバン主義の聖書解釈は正しくない、というのが私の結論です。
予定説は、間違い! - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
2.「ずっと救われる」の根拠2・・・ローマ8:38~39
み言葉の中から「ずっと救われる」を主張する教会も多いです。有名なのが以下の聖句です。
「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」ーローマ8:38、39
アーメン。勿論その通りです。
でも!一つ大事なことを忘れてませんか?・・・・・・自分です!背教です!
3.「キープしないと失う」の根拠1・・・ローマ8:38~39への反論
このローマ8:38の中では「どんな被造物も神からわたしたちを引き離すことができない」・・・・でも自分にはできるのです。
自分(本人)から、神の愛を、離れて、背教することはできるのです!
「しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、わたしも天の父の前で、その人を知らないと言う。」ーマタイ10:33ー
という、み言葉もあります。迫害が現実的になっている中で、これをどうとらえたらよいのでしょうか?
4.「キープしないと失う」の根拠2・・・警告の聖句80か所
実は、新約聖書だけで80か所も「救いを失うな」という警告の聖句があるそうです。例えば、
ーローマ11:22ー
「だから、神の慈しみと厳しさを考えなさい。倒れた者たち(ユダヤ人)に対しては厳しさがあり、神の慈しみにとどまるかぎり、あなた(異邦人)に対しては慈しみがあるのです。もしとどまらないなら、あなたも切り取られるでしょう」
多くのユダヤ人が、救われませんでした。今、救われている異邦人のあなたも気をつけないと(救いから)切り取られると言ってます。
ーヨハネ15:5ー
「わたし(イエスキリスト)はぶどうの木、あなたがたはその枝である。~わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう」
イエスキリストにとどまっていない人は火(地獄)の運命だということです。
ーヘブライ10:26ー
「もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。」
故意に罪を犯し続ければ、焼き尽くす火(地獄)の運命だということです。
他にも
マタイ24:13 ヨハネ3:16 ヘブル6:4~6、2ペテロ2:21、 黙示録2:1~3:22 etc
救いは保証される??聞く耳のあるクリスチャン必聴!教会が教えない真の福音 by David Pawson - YouTube
5.「もし~」という聖句も警告
「もしあなたがたが、いたずらに信じないで、わたしの宣べ伝えたとおりの言葉を固く守っておれば、この福音によって救われるのである」ー1コリント15:2ー
これは逆に、もし~言葉を固く守っていなければ・・・救われないという警告です。
この「もし」というのは重要です。でも、この「もし」に気を付けるように、教会で教えるのをほとんど聞いたことがありません。
6.救いの確信は聖霊による・・・そして、キープすれば救われる
今日多くの教会が「ずっと救われる」ことを教えたり、聖書の知識だけに基づいた救いを教えていることは悲しいことです。
「使徒の働き」では、救いの確信は全て、内住された聖霊に基づいていました。
そのころは、新約聖書がなかったからです。新約聖書は紀元100年頃にできました。でも使徒の働きを見ると全ての人はハッキリと聖霊を受けた、または、受けていないと判断しています。そして聖霊を受けた人は、救いの確信をハッキリと得ていたのです。
その確信とは、
「必ず天国に行ける」=「ずっと救われる」確信ではありません。
「現在は、救いの細い道を歩んでいる」という確信であり
「このまま、キープすれば、天国に至る」という確信です。
7.大切なのは、始まる(新生する)こと・・・それからキープする
以上の議論は、全て新生(ボーンアゲイン)を前提としています。
新生して聖霊を受けていなければ、神の子とされたとは言えませんし、主イエスに従い、聖化され、神を愛し、人を愛することもできません。
そして自分の力により頼む、律法主義的な宗教と化してしまいます。
ですから、ともに祈りましょう。
主よ!私は、現在、救われていますか?
私は、現在、天国に至る、細い道を歩んでいますか?
私には、現在、聖霊が内住していらっしゃいますか?
でも、万が一、そうでない時は・・・・教えてください!
そして、聖霊を与え、救いに必要な、天国に至る、細い道を教えてください!
アーメン!
信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
一度信じても、救いを失うことはある - inochinomizu’s diary (hatenablog.com)
「一度救われたら、ずっと救われる?」by David Pawson (日本語字幕)
Once Saved Always Saved - IHOPKC May 2011 - David Pawson - YouTube