世の終わりを感じる今日この頃、クリスチャンの皆さんに、今一番お願いしたいのは、一人ひとりがご自分の信仰を確認することです。
それも、皆さんの中に聖霊がいらっしゃるか?どうか?についての確認です。どんなに素晴らしい働きをしても、素晴らしい経験をしたとしても、聖霊の内住がなければ、神に属する者、神の子、天国に入る者とはカウントされないからです。
ぜひ祈ってみてください。
「主よ。わたしは本当に新生(ボーンアゲイン)しているでしょうか?
つまり、わたしの中に聖霊は内住しているでしょうか?」
確信がありますか?それは素晴らしいです!でも、もし、確信がなければ、それはなぜか?一度考えてみてほしいのです。
一つは、新生として信じたものが、聖書的ではない可能性があります。驚かれるでしょうか?様々な教会を訪問した私は、「新生」についての考えがバラバラであることに驚愕し、ホンモノの新生とは何かを考えてきました。
今回は、ニッポン人の精神文化を踏まえて、
基本の4ステップ 1悔い改め 2信仰 3水のバプテスマ 4聖霊のバプテスマ
についての問題点をとりあげます。
信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
ステップ1.悔い改めの問題点
新生へのステップ1は悔い改めです。大切なこの「悔い改め」が聖書的でないと新生は難しいです。例えば。。。。
・自分を罪人だと思ってない!
自分を罪人だと実感していないクリスチャンが多いです。これでは救われません。ニッポン人は平均的に真面目な人が多く、「罪びと」というのがピンとこないようです。
マルコ2:17
人とではなく神と比べて、自分の罪深さを知るよう、祈りましょう。
ホンネで、罪人だと思っていますか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
・悔い改めの実(証拠)がない!
悔い改めが口先だけで「タテマエ」になっていることが多いです。本気で悔い改めれば、表情、感情、人に対して告白、謝罪、弁償。。。等の悔い改めの実(証拠)が現れるはずですが、このような教えも実践も少ないです。
悔い改めがホンモノがどうか、確かめましょう。マタイ:22
ホンモノの悔い改めとは? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
・一番重い罪を悔い改めていない!
それは、十戒の第一戒「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。ニッポン人はここが、欧米の人達と大きく違います。彼らは真の神を知っているけど逆らってきた人たちです。私達ニッポン人は、真の神を知らず、八百万の神を信仰してきた民です。このことをもっと理解し、初めに偶像礼拝を悔い改めるべきですが、あまり実践されてません。エゼキエル8章
まずニッポンのあらゆる偶像礼拝を悔い改めましょう。
ニッポン人が気付かずにしてる隠れた偶像礼拝 - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
・悔い改めが簡単すぎ!
罪人の祈り「主イエスよ、私は自分の罪をお詫びします。あなたを私の人生にお招きします。アーメン」は悔い改めではありません。もっと具体的に祈るものです。もし嘘をついたなら「罪を赦して下さい。」だけより、「実は3回も○○と嘘をつきました。赦して下さい。」という風に。これは、時間がかかるものです。使徒1:14
今一度、時間をかけ、具体的に悔い改めをやり直しましょう
The Normal Christian Birth Part 2 - YouTube(日本語字幕)
・ただ、悔いる、反省する、自分を嘆く。。。。
これは悔い改めではありません。悔い改めとは、180度方向転換し、神の方を見ることです。例えば「今まで、平気で嘘をついてたことをお赦しください。。。。正直で誠実な人になりたいです!」と表明することです。この「~なりたい!」という気持ちが180度転換なのです。できるかできないかは問われません。むしろできません。だから主を信じるのです。
Born Again Through Repentance And Faith by Zac Poonen - YouTube(英語字幕)
・何度も何度も同じ悔い改めの繰り返し。。。。
この場合は悪霊に翻弄されていることがあります。今必死に祈っている罪と別なところに本当の問題点があり、悪霊がそれから目をずらそうとしているのです。
もう一度、何が本当の問題ですか?と問い直しましょう。
神? それともサタン? 見分けは大切! - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
その他、聖書から外れた悔い改めがいろいろあると思いますが、ホンモノの悔い改めをしていくとき、隠れていた問題点が明らかになったり、聖霊が与えられたりします。
ステップ2.信仰の問題点
「信仰」は4つのステップ中で最も大切だからこそ、よく検証する必要があります。
①信仰とは聖書(主に使徒信条)を受け入れることですが、問題があります。
・一神教に対する違和感
ニッポン人はもともと八百万の多神教に親しんできました。ですから「一神教」という言葉や、神がお一人ということに違和感、抵抗を感じてしまいます。
・三位一体なる創造主より科学の知識
学校教育や社会が進化論や科学を前提にしています。神が人間を創造し、アダムが堕落したのでなければ、十字架の救いは成り立ちません。また三位一体ということを受け入れがたくしています。信仰とは頭の理解を超えたところにあるものです。
・主なる神に従わない
聖書の神は主なる神、ご主人様、ナンバーワンの神です。私たちが使う神(ご利益信仰)ではなく、私たちがお仕えする神なのです。ですから、信じる=従うということになります。つまり、クリスチャン=弟子のことです。すべてを捨てキリストについていく人達のことです。
・罪の重さを知らない、教えない
私たちの罪への判決は、地獄です。これは本当に言いづらい言葉ですが、伝えなくてはいけません。罪とは、それほど深刻なことだからです。でもこの事実を避けて福音が伝えられています。クリスチャンからも地獄を信じていないオーラをよく感じます。
・罪からの救いではなく、ご利益信仰
聖書の救いは、罪からの救いです。苦しみ、問題からの解放は、その結果です。神の恵み、愛、救い。。。といいますが、何か問題の解決、賜物、慰め等々のご利益信仰が優先されているように思えます。
② イエスキリストに対する信頼ではない
信仰は聖書の出来事を信じるだけではなく、イエスキリストに対する信頼 ( faith IN Jesus ) なのです。主を信頼し、人生においてリスクをとることです。まさに、結婚する覚悟が必要です。
③実が現れず、知識「タテマエ」になっている
信仰も、考え、言葉が、行動(アクション)という実なって現れます。「行いの無い信仰は死んでいます。それは救うことができません。ヤコブ2:17」外科医に手術を頼むとき、その医者を信じ( believe IN )、紙にサイン(アクション)をします。新約聖書が認めている信仰は、行動する信仰です。
④信仰を一瞬のイベントにしている。
救われるのは信仰を始めた人ではなく、信仰をもって人生を終えた人です。「一度救われた人は、常に救われているOnce Saved Always Saved」と教える教会は多いですが、これは聖書的ではありません。ギリシャ語には特殊な時制がありますが、訳すと、何かをし続ける( to go on )という意味です。例えば、 ハバクク、「義人は信仰(を続けること)によって生きる」とあるように信仰は、継続的なものです。
その他様々な問題点があると思いますが,ご自分の信仰を検証するきっかけにしていただければ幸いです。
一度救われたら、ずっと救われる? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)
ステップ3.水のバプテスマの問題点
水のバプテスマが救いの条件と言えば、多くの批判を頂くことになると思いますが、私は新生(ボーンアゲイン)に必要なステップだと確信しています。以下のような問題点がでてくるからです。
・「信じたけど、バプテスマ受けない」はニセモノ
バプテスマは信仰の実(証拠)であり、表明です。本当に信じたら受けたいはずです。何の問題(病気とか家族の反対等)もないのに受けたくないという人の信仰はホンモノではない可能性が高いです。
・ただのシンボルではない
バプテスマはシンボルだという人も多いのです。しかし、バプテスマによって癒された、清められた、聖霊を受けたなど、多くの人の証を聞いております。ただのシンボルなら、こういうことはないかと思うのです。
水のバプテスマ * その力と意味 by Rise On Fire Ministries - YouTube(日本語字幕)
・やり方や、名前(意義)が違うと聖霊を受けられない
しかし以下の聖句では、バプテスマの種類が違うので聖霊が受けられなかったのです。ただのシンボルならこんなことは起こりません。
「それなら、どんな洗礼を受けたのですか」と言うと、「ヨハネの洗礼です」と言った。そこで、パウロは言った。「ヨハネは、自分の後から来る方、つまりイエスを信じるようにと、民に告げて、悔い改めの洗礼を授けたのです。」人々はこれを聞いて主イエスの名によって洗礼を受けた。」使徒19:3~5
また滴礼(滴をパッパ)か?浸礼(全身ジャブン)か?という議論がされますが、聖書の中のバプテスマは全て浸礼(全身ジャブン)です。
多くの人が「水からザブーンと出てきた瞬間に聖霊を受けた」と証しています。勿論信じた瞬間に聖霊を受けたり、病気などの問題がある人はバプテスマ無しで、聖霊を受けることもあります。でも聖書の基本は「悔い改め、信じてバプテスマを受ければ聖霊の賜物が与えられる」使徒2:38です。ですから、水のバプテスマをしないから、聖霊が受けられない人もいるはずです。
悔い改め、信じたら、イエスキリストの名による、浸礼式バプテスマ(全身ジャブン)をなるべく早く受けるのが基本です。皆さんはどんなバプテスマを受けましたか?
・現在、この祈りがなくなったことが問題です!
「二人はサマリアに下って行き、聖霊を受けるようにとその人々のために祈った。」使徒8:15
「~死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、~などの基本的な教えを~」へブライ6:1-2
上の聖句から見て、手を置く儀式、つまり聖霊を受けるために手を置いて祈ることは基本的なステップだったということがわかります。カリスマ、ペンテコステ派では、日常的にこのような祈りがありますが、それ以外では、歴史の中で消滅してしまったようで、残念です。
・祈りを頼む相手も問題です!
こちらは、カリスマ、ペンテコステ派にある問題です。祈るのですが、霊の見分けができていないので、悪霊が働いているのをしばしば見かけました。誰でもよいわけではありません。誠実で、神を恐れ、信頼できる牧師や先輩クリスチャンに手を置いて祈ってもらいましょう。
以上です。ご自分の新生について考えていただけたでしょうか?確信が持てれば、素晴らしいです。
でも、もし確信がなければ、求めましょう!聖書はこう約束していますから!
「求め続けなさい。そうすれば聖霊は与えられます。」ルカ11:9(私訳)