聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

ホンネで、罪人だと思っていますか?

キリストはタテマエの神ではありません。聖書のすべては、ホンネで語られています。もちろん、私たちクリスチャンもホンネで、信仰生活を送るのです。
ということで、今回は福音を「ホンネで信じる」ということを考えてみましょう。

 

まず、福音を信じるとは、以下のことを信じることです。

自分は死ぬべき罪人である
身代わりとしてキリストが十字架で死んで埋葬された
そして3日後に復活した

そして聖霊を受け、新生(ボーンアゲイン)できる

 

このはじめが大切です。今回は、これを考えてみましょう。

「自分は死ぬべき罪人である」


私たちクリスチャンはよく「私のような罪人には。。。」「私は罪人のかしらです。」などと気軽に口にしますよね。しかし、私は正直に言って

タテマエはやめて下さ~~~~~~~い!

と叫びたくなることがよくありました。どう見ても自分のことをホンネで「罪人」と思っているように見えなかったからです。

ルカ18:9で、取税人(ごろつき?)とパリサイ人(宗教指導者)がお祈りをしますが、結果的に神は取税人を義と認め、パリサイ人は認められませんでした。

取税人は心から自分の罪を悔いていましたが、パリサイ人はホンネでは、自分を義人だ(自分には罪は無い)と思っていたからです。

ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。」ルカ18:11


今日、このパリサイ人のようなクリスチャンが多いのではないでしょうか?


また、日本の文化的な問題を考えずにはいられません。日本人は、自分の罪を認めにくい価値観を持っていると、思っています。政治家や有名人の謝罪は悔い改めではなく

「皆さま(誰?)に多大なご迷惑(何?)をおかけしたことを心からお詫びします。」といった世間に対する迷惑だけを気にして自分のしたことが分かっていません。

日常生活の中でも、人はいろいろと間違いを犯すものですが、心から謝罪をしている人をほとんど見たことがありません。これは、日本人全体(私も含めて)に漂う空気のようなものではないでしょうか?


「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」ーマルコ2:17―

 

十字架を必要とするのは罪人なのです。勿論本当にホンネで思っている罪人です。十字架を必要だと実感しているでしょうか?


「昔はたばこも、浮気も、やっていたけど、信じてからは、一切やめているし、教会にも毎週行っているし、まあまあの信仰かな。」などと思っているとしたら、ちょっと危ないです。

 

私達は、ホンネで自分が罪人だと思っているでしょうか?

 

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