聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

現代プロテスタントの宗教改革

最近ネットを見ていると、いろいろな詐欺的広告が上がって来ます。私の場合は

「50代60代の深いシワも塗ってたった数分で消える、最新科学の美容ジェル!」

みたいなパターンが多いですね(笑)。振り込め詐欺の新バージョンも拡大しています。

そして、キリスト教世界の詐欺といって私が思いつくのが、中世ヨーロッパの暗黒時代です。カトリック教会による、異端裁判、魔女狩り、免罪符、、、等に、ルターやカルバンが抗議(プロテスト)したのが宗教改革であり、プロテスタント教会の誕生です。多くの信者に悪気はなく、カトリック教会に、そしてサタンに騙されていたのです。

この人達を可哀そうで愚かな人達だと思いますか? もしそうなら、皆さまも騙されている可能性が高いです。現代こそ、最悪の暗黒時代だからです。

「ああ、新しい使徒の権威とか、繁栄の神学、エキュメニカル、LGBTは素晴らしいとかいう危険な教えのことですよね?」

はい。確かにそれは気をつけるべきです。でも本日はそのような外部からの惑わしより、あの中世の暗黒時代のように、私達の教会の土台となっている伝統、文化、常識、習慣の中に惑わしはないか?を吟味し、

かなり過激ですが、「現代プロテスタント宗教改革」というテーマを考えていきたいと思います。

 

1.聖書が「人に惑わされないよう、気をつけなさい」と警告

 

まず、聖書が「人に惑わされないよう、気をつけなさいマタイ24:7」と終末の惑わしを強調してるのですから、私達はもっと警戒すべきだと思います。

「偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。マタイ24:11」

「こういう者たちは偽使徒、ずる賢い働き手であって、キリストの使徒を装っているのです。1コリ11:13」

「~彼らは、わたしたちを奴隷にしようとして、わたしたちがキリスト・イエスによって得ている自由を付けねらい、こっそり入り込んで来たのでした。ガラ2:4」

「だれも健全な教えを聞こうとしない時が来ます。~真理から耳を背け、作り話の方にそれて行くようになります。2テモテ4:3-4」

現在の教会内に、無数の詐欺、惑わしが横行していると心得ましょう。

 

2.「先生と呼ばれてはいけない」?

 

ここで、私が教会内の惑わしだと思うものを少し紹介してみたいと思います。

皆様の教会では牧師を「○○先生」または「牧師先生」、と呼んでいませんか?これは多くの教会では普通のことですが、最近、仲間の間で話題になりました。聖書は

「だが、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。マタイ23:8」

と言っているからです。いろいろ解釈はありますが、私は「牧師を先生と呼ぶことは聖書的ではない」と思います。とすると・・・

これは「聖書に反することを習慣とする惑わし」だと思いませんか。

牧師を「先生」と呼ぶの、呼ばれるの、もうやめませんか? イエスの教えに反してますよ?【マタイ23章】 (youtube.com)

 

3.「裁いてはいけない」?

 

次にマタイ7章の「裁いてはいけない。~」です。これは有名な聖句で、普通は「誰かかが罪を犯していても、その人の罪を指摘してはいけません。」と解釈します。しかし、これを文脈に沿ってみると、

「自分にも同じ罪があるのに、人の罪を指摘するのは偽善者です。~偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。マタイ7:5」

つまり、むしろ「自分の罪を悔い改めてから、人の罪を指摘しなさい」と言ってます。その他、聖書には「二人だけのところで忠告しなさいマタイ18:15」「正しい裁きをしなさいヨハネ7:24」というように罪を指摘している場面がたくさんあります。

この教えの影響で、聖化や見分けが阻害されていると実感しています。ということで、これも聖書に反する惑わしの教えだと思います。

「人を裁くな」の本当の意味 (youtube.com)

 

4.「一度救われれば、天国は保証される」?

 

多くの教会では「一度救われたら、ずっと救われ、救いは保証される」と教えています。英語でいう「Once Saved Always Saved 」ですね。でもそれって本当でしょうか?勿論、そうであってほしいです。でも、私は「救いは一度始まっても、天国までキープしないと失う」と考えています。それについてはこちらのブログにまとめてあります。

一度救われたら、ずっと救われる? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

このOSASを信じている人は明らかに終末の準備が甘いです。これが誤りだとすれば、やはり多くの教会が、聖書に反するこの伝統の教えに騙されていることになります。

 

5.「イエスの愛」?

 

今教会で一番語られているのが「イエスの愛」だと思います。それは一見良いように思えます。でも私の仲間は、多くの教会で語られている「イエスの愛」に違和感を感じることが多いと言います。

例えば「罪のままのあなたが素晴らしい。」「神様はあなたの全てを(罪の部分も)愛しているよ。」「神は愛。だから互いに裁くことはしないで、愛し合いましょう。」という何か罪を容認する愛で、真実の愛、つまり赦しの愛が抜けているのです。それは聖書のいう愛ではありません。この点についてもブログにまとめてあります。

神の愛? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

 

6.「信じれば救われる」?

 

さて、最後はこの宗教改革の「聖書のみ、信仰のみ、万人祭司」という有名な言葉にチャレンジします。これを踏まえてお聞きします。

信じれば救われますか?。。。。いいえ!救われません!

聖書のとおり(正しく聖書的)に、信じれば、救われるのです。

しかし多くの人は、聖書的に信じていないので、本来信じた人が受ける内住の聖霊を受けていないのです。この証印が無ければ天国に入ることはできません。これはマタイ25章の5人の愚かな乙女のことです。

「5人の愚かな乙女」対策はできていますか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

これは恐ろしいことです。勘違いにより、聖書的でない信仰になっているのです。その勘違いはいろいろだと思います。特に日本のように文化的に他宗教を信仰するような国はなおさらです。いくつか例を挙げたいと思います。

 

・八百万の一人のイエス

自分の経験として、私は最初、宣教師によって、ごく普通に福音を信じました。しかしその時は聖霊を受けることはできませんでした。なぜでしょう?それは、私の信じたイエス様が八百万の神の一人としてのイエス様だったからです。幸いにも数か月後にその間違いを指摘され、偶像礼拝を徹底的に悔い改め、聖霊を受けました。

キリストに一目惚れ - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

 

・三位一体を理解しないで信じたイエス

私の仲間は、福音派の中心的な教会で信仰告白バプテスマを受けましたが、聖霊を受けることができませんでした。三位一体の理解に問題があったからです。

プロフィール (endtimewatchmanjapan.com)

 

・ホンネでは信じていない

私達の文化の中に「ホンネとタテマエを使い分けることは良いことである」というものがあります。これは聖書的には偽善ですので、タテマエで信じても救われません。

タテマエで信じても救われる?聖書とニッポン文化 - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

ホンネで、罪人だと思っていますか? - 聖書の知恵 (hatenablog.com)

 

・信じると=従うこと、になっていない

信じる時は必ず「イエスを主と告白」されていると思います。問題は「主」とは何か?私達は何になるか?を説明されないまま「しゅ」と告白していることです。これは

「イエス様はご主人様です。私達はしもべであり、100%の服従を目指します。(すぐには無理ですが、とにかく目指す)」という告白なのです。ところが多くの人は「全て赦されたので、自由に好き勝手に生きる~」という聖書的でない信仰に惑わされています。

その他、イエス様を。。。ご利益の神、地獄の裁きをしない神、罪のことは言わない神、優しいだけの神、お金の次に求める神、癒しや奇跡の次に求める神、創造主ではない神、、、のように聖書的ではない神にしている人が大勢います。

これらは全て、、、聖書に反する惑わしです!

 

7.今こそ、プロテスタント宗教改革を!

 

プロテスタントだから、大丈夫?」

いいえ、そんなことはありません。もうカトリックや異端の問題ではないです。上記のように今こそ最悪の暗黒時代だと認識すべきです。サタンはあの中世ヨーロッパの暗黒時代より、もっと巧妙に、もっと隠れて、もっと分からないように、、、私達を騙し一人でも多く地獄へ道連れにしようとしています。ですから、今こそ、

聖霊によって、ご自分でみ言葉を読んで下さい。

他人や、他の教会、教団の事ではなく、ご自分の土台を吟味してください。

自分の信じているイエス様は聖書の通りのイエス様か?自分で調べてください。

信じれば救われる?救いの道は、そんなに甘くないと聖書が言っています。

 

今こそ必要なのは、、、現代プロテスタント宗教改革です!

 

「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」マタイ7:13-14