聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

予定説は、間違い!

今回はちょっと複雑なテーマ。。。。

カルバンの「予定説」というのをご存知ですか?

神は救われる人を初めから選んでいるので、選ばれている人だけが救われ、逆に選ばれてない人は、どんなに努力しても救われないというものです。 
代表的な聖句の一つは

「神はわたしたちを~お選びになりました。イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです。」エフェソ1:4、5

詳しくは

予定説 - Wikipedia

予定説とは何ですか?予定説は聖書的ですか?

 

この「予定説」とは聖書的なのでしょうか?

今回はカルヴァンの 予定説に対する大胆な 提言、「二つの選び」を考えてみたいと思います。

 

もともと私は予定説でなく、「信仰は一人一人の意志による」と信じていました 。しかし 改革派や 長老派 などの牧師たちが 予定説を主張するので 調べ始めたのです 。もし 聖書が 予定説を 語っているなら 私は聖書に従いたいからです。ただ、私の中の聖霊様が 予定説を拒否しているのは強く感じていました! 

予定説を 主張している 牧師は 聖書の御言葉を たくさん引用して論理的に 説明してくれました。確かに予定説をサポートする聖句はいくつもあります。一方 、予定説に反対している人たち(アルミニウス派)は 、予定説を無視しているせいか 聖書から 説明できる人は いなかったのです! 

聖書は予定説が正しいと言ってるのか?と混乱しつつ、 正教会の司祭などにも相談しながら祈り続けました。そして、あるとき聖霊によって、

予定説は間違い選びは2つある」と示されました。

以下の 説明の通りです 。選びには「救い」と「役割」の2つがあるという解釈です。

 

1.「救い」に選んだのは「信じる人達」・平等な選び

 

「神はわたしたちを~お選びになりました。」エフェソ1:4

 

神が 予め 「救い」に 選んだという、 これは どういう人達か ?

まず 大事なことは 人類は 皆 罪人です。全ての人は皆「滅び」るべきだったのです 。でも憐れみ深い神様は 救いを計画されました。そして「 どういう人達を救うか?」 神様の主権によってお決めになりました。

 

神様は考えました。 「どういう人達を救おうか ?

全部 救う ?(万人救済説)・・・・いいえ!

ユダヤ人達を救う ?(一般的ユダヤ教)・・・・・いいえ!

真面目な人達を救う ?(一般的日本人の考え)・・・・・いいえ!

聖書をよく理解できる人達を救う? (知識だけの人)・・・・・いいえ!

福音を 自分の意思で 信じる人達を 救おう!

 

神様はこういう人達 を選んだのです 。この人達を 天国への道に招き入れることにしました 。ですから 救いの選び というのは

福音を 自分の意思で 信じる人達」は誰でも救われるのであって 平等な選びです。

「A さん、 B さん 、C さん は救うけれど、 Dさん Eさん は救わない」という予定説が 主張するような 選びではない のです。以下の通りです。

「天の国は、ある王が王子のために婚礼の祝宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、祝宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。・・・・・

招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」マタイ22:3,4,14

 

2.「役割」に選んだのは、全ての人。ある意味、不平等な選び。

 

「焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。」ローマ9:21

聖書には もう一つの 選びが あります 。それは「 役割」の選びです。

人類を救うための壮大な 計画は 一人一人の 役割によって 進められます 。全ての人が何かしらの役割を与えられています。神様はその役割に応じて、一人一人に特異な能力 を与えてくれるのです。 救われてない人もです。全ての人を通して、神は 計画を進めています 。

「あなたを祝福する人をわたしは祝福しあなたを呪う者をわたしは呪う。地上の氏族はすべてあなたによって祝福に入る。」創世記12:3

その「役割の選び」の中心はやはりユダヤです 。彼らは聖書や律法、メシヤの誕生、伝道の役割に選ばれました。この働き に関しては 神様から特別視されていて、ある意味、不平等です。

しかしユダヤ人だから救われる、わけではありません。

一方、悪役も選ばれています。 有名なのが 出エジプトの パロです 。彼は 救われていませんが悪役という 役割を果たし、神の栄光を表したのです 。

聖書はパロにこう言っている、「わたしがあなたを立てたのは、この事のためである。すなわち、あなたによってわたしの力をあらわし、また、わたしの名が全世界に言いひろめられるためである」ローマ9:17

このように「役割」の選びは、「救い」とは関係ありません。多くの カルバン派の 方々が この役割の選び 救いの 選び 混同していると思います 。

 

3.カルバンの信仰は?

カルバンはこの予定説を有名な教父 アウグスティヌスから 得たようです 。 彼を非常に 尊敬していました。 ところが アウグスティヌスを 聖人として 認めている カトリック正教会 では「アウグスティヌスは 予定説を言っていない」 と主張しています 。

予定説 - Wikipedia

宗教改革は 素晴らしかったです。 でも「 信仰によって救われる」信仰義認 以外は 、 非聖書的な解釈が残っていました。幼児洗礼とか、ユダヤ人迫害とか。。。 予定説も そのひとつだと思います 。

この間違いは枝葉末節的かとも思いましたが、、、、終末への準備を阻害するような悪影響が出てきていると実感しています。そういうわけで、結論として、、

 

予定説は 非聖書的だと思います。