聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

カルト化した教会(バイブル・カルト)からの脱出

私は 1985年に イエスキリストを信じました。 その救われた母教会は 20年 通いましたが 残念なことに カルト化(バイブル・カルト) してしまったのです。今回は その脱会の 経験談を お話ししたいと思います。教会のカルト化については以下を参照してください。

 教会のカルト化 - 聖書の知恵

 

1.はじめは良い教会

初めはとても良い教会だったと思います 。ところが だんだん 何かが変わっていきました 。はっきりと わからないのですが、なんだか 教会にいて 苦しい 感じが しました。 でもその教会は どんどん成長していましたし、 癒しや、 奇跡が起きていましたし、神に祝福された教会だと思い、 私は 一生懸命仕えていました。

 

2.「その教会を出なさい」

ところが ちょうど2000年になったころ、 いつものように 日々のお祈りをしていると こんな思いが湧き上がってきました。

「この教会を出ないといけない。」

祈りとは 神様とのコミュニケーションです。 私は神様が 脱会するようにと 仰っていると思いました。 でもその頃、 私はその教会が 日本で一番良い教会だと 信じていましたので、とても 不思議な気がしました。 でも そこから 祈り始めましたのです。

「主よ !どうして出なくてはいけないのですか?」

そうすると 少しずつですが 、主イエスは 色々なことを通して、その教会が カルト化しているということ 教えてくださったのです 。その頃は まだカルト化 という言葉が 知られていませんでしたし、 ネットにも 書籍にも そういう情報はありませんでした ので本当に藁をもつかむ思いで追及していたことを思い出します。

すると、それまで 当たり前だ 良いことだ と思っていたことに、「 あれ?」 と 疑問を持つことが出てきたのです。 そうやって だんだん 「カルト化」というものが見えてきたのです 。

 

3.教会の権威が強くなる

まず 牧師や教会の 権威が かなり強くなっていました その牧師とは 設立の頃からの知り合いでしたが 以前は とても気さくな人でした。 でも20年経つ頃には まるでマフィアのボスのような 貫禄があって、別人になっていました。

以前は何でも話せるし 質問したりしましたが、 それもできなくなりました 。特に 教会に 疑問を持ったり 非難したり することは 絶対に 許されなかったのです。逆らえば、通報され、処分されます。

メッセージも「 権威に服従しなさい。」 というものが増えて 、それも聖書から 語られるので 有無を言わさない感じでした。

 

4.横の関係は弱く、上下関係が強くなる

以前は もっと 会員同士も 親しくしていましたが、 だんだん 交流がなくなりました。 教会でのお祈りは 教会組織の課題だけ。 個人的な 課題は 家で祈るように言われました 。

象徴的だったのが 日曜礼拝のランチの時間です。 それぞれが お昼を持参して 食べるのですが 大勢の人たちが 交わることもなく ひとりひとりが前を向いて 座って黙って 食事をするのです。 異様な光景ですよね。

横の交わりが無い分、 上下関係 は 強力でした。 皆自分の上の方向いて 自分の上の権威に 必死に服従していました。

 

5.思考停止、洗脳

そして だんだん 自分でものを見て、 自分で考える ということがなくなっていきました。 例えば 牧師は祈るときに 特殊な姿勢で祈りました。それは単にその人の個人的なクセだったのですが、 会員の多くが それを真似て 同じような姿勢で祈りました。 意味もなく、考えることもなく 上に従ったのです。 こうやって だんだん 洗脳されて行きました。

悪質なのは この洗脳が 聖書の御言葉を使って なされていたことです。 聖書に書いてありますね。

「人はみな、上に立つ権威に従うべきです~」 ローマ13:1

このような特殊なみ言葉のメッセージを繰り返し繰り返しするのです。

そして だんだん 外部との接触を 制限されて行きました。 他の教会には 行ってはいけない 。教会がすすめる 本以外は読んではいけない。等々。 本当に 閉鎖された 世界に閉じ込められて いったのですが、 本人たちは 自由だと信じているのです。

 

6.そして脱出!

初めて「 脱出しなさい!」 と言われてから 3年近く このような 戦いを してきました。何との戦いかといえば、

「カルト化とか脱出とか。。。結局、私が間違っていて、ただ、神様に逆らっているだけなのは?」

という自分の思いとの闘いです。誰も教えてくれないし、導いてもくれない中で、この自分との戦いが一番つらかったです。

しかしながら3年目になると 教会員 の中にも 同じ考えを持つ仲間が 一人 また一人と 出てきました。 でも疑問や批判は絶対許されないところですから 、まるでヨーロッパの レジスタンスのようでした。恐る恐る 相手の 考えを 確認し、 ある時同じ仲間だ!と 分かるのです 。この見極めを 失敗すれば 、通報されて処罰を受けますから、 恐怖との戦いです。

そして 仲間が 何十人か できた頃 出ることを実行しました 。まるで 出エジプトです。 このような カルト化した教会 を脱出するのは 簡単なことではありません。 モーセの紅海が分かれるような 奇跡的な脱出でした 。主に感謝します!

 

7.脱出後!の問題!!

実は 脱出してからが 大切なんです。 一緒に 脱出した 多くの仲間が 大変な 試練を 受けました 。

まず 心が 傷ついていました。 病気になる人も いました。 多くの人が 聖書を読めなくなりました。 なぜなら 御言葉で 縛られていたからです 。多くの人が 教会は行かないと 言いました。 また キリスト教は やめたと 言いました。出エジプト した後に 多くの人が 脱落したのと同じです。 本当に 残念です。

もっと残念なのは 脱出しても 心の整理を ちゃんとしないと 自分がやられたのと同じことを 他の人に してしまうのです。 よく 親から虐待を受けた人が 自分も 子供に 虐待してしまう、のと同じです 。

 

8.カルトは偶像礼拝。自分の罪

でもある時気づかされました。

「 確かに私たちは カルトの被害者です。 でもカルトとは 牧師や 教会が 主イエスより 権威を持ってしまった 偶像礼拝。。。。つまり 私たちは 偶像礼拝の 罪を犯したのだ !! 」

勿論リーダー達は悔い改めが必要です。でも私たちが悔い改めるべきは自分の偶像礼拝の罪なのです。

幸い 私の仲間は それに気づき、 悔い改めることが できました 。そして本当の再出発を することができたのです。 とても苦しかったですが、 ここで学んだことは 大きいです。 たとえ聖書を 教えている 教会でも 実質は偶像礼拝になるのだと 学んだのです。 組織や リーダーに 依存してしまうのは 危険であり 偶像礼拝なのだ 学びました。

また自分の 教会や 育った環境に 間違いがあるかもしれないという 「聖なる疑いの 目」を 開いていただきました。 これが 今の 私の歩みの 大きな 力となっています 。また これからの 終わりの時代、終末のための大切な 学びができました。

 

主イエスに 心の底から感謝します 。アーメン!

隠れた偶像礼拝 - 聖書の知恵