皆さまは、「赦す」と「許す」の違いがわかりますか?
今回は、このなんとなく似た言葉、、、、について考えてみたいと思います。ちょっとごちゃごちゃしやすいので、どうぞ、ついてきてくださいね。
1.辞書の定義
辞書では以下の通りです。
【赦す】
① 罪や過失を、とがめだてしないことにする。また、服役中の人を放免する。
【許す】
② 願い・申し出等をききいれて願いどおりにさせる。認める。許可する。容認する。
この意味だと以下のようになります。
2.聖書では、赦す?許す?
キリストは「罪を赦します。 」。。。。。 が、
キリストは 「罪を許しません。(容認しません)」
私たちは
「悔い改めた人の罪を 赦さなければいけません。」。。。。。が、
「悔い改めていない人の罪を 許(容認)してはいけません。」
3.英語では、全く逆の言葉!
英語では
「赦すは= forgive」、
「許すは= permit」
と、全く別の言葉として、むしろ逆の意味の言葉としてハッキリ使い分けています。
しかし、しかしです!日本語では
「赦す=ゆるす」
「許す=ゆるす」
と発音し、ともに「ゆるす」で 混同されているのです!
(さらに大辞林では【許す・赦す】といったように一緒になっています。)
4.教会でも「赦すと許す」が混同
そのためか、わかりませんが、日本の教会では
「赦しのメッセージ」と 「 許しのメッセージ」が 混同されているようです。
例えば「そのままのあなたでいい。」「そのままのあなたが愛されている。」「そのままのあなたが尊い」などは「 許しのメッセージ」で、非聖書的です。
こういったメッセージだと
「その罪があるままでいいよ。聖化されなくてもいいよ。悔い改めなくてもいいよ。」
といった、罪の容認のメッセージと聞こえます。
5.「赦し」は「愛」、そして「救い」
これでは、キリストの愛の本質、赦しがわかりません!
これでは、キリストの救いがわかりません!
「赦す」と「許す」を混同してませんか?
あなたは、キリストに本当に「赦され」てますか?
あなたは、キリストの愛を本当に知っていますか?
ニセモノの愛 - 聖書の知恵 (hatenablog.com)