聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

ニセモノの愛「赦しなさい?」

1.神の愛は、赦しの愛

エスキリストの愛とは、一言でいえば「赦しの愛」だと思います。
親切とか、忍耐とか、いろいろありますが、私達の罪を赦して下さったというのが、キリストの一番の愛だと思うのです。そういうわけで、教会でも

 

「あなたは赦されています。」

「あなたも人を赦しなさい。」

というのはよく聞くメッセージですよね。

 

2.悔い改めなくても、赦す?


ところが! ところがです!この「赦しなさい」というのはちょっとクセものです。なぜなら、多くの教会では、
「 (悔い改めてない人も) 赦しなさい。」
と教えているからです。この( )の中が問題です。


聖書は何と言っているでしょう?

「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。一日に七回あなたに対して罪を犯しても、七回、『悔い改めます』と言ってあなたのところに来るなら、赦してやりなさい。」 ルカ17:3~4

このように
「悔い改めます、と言ってあなたのところに来るなら」と、

ハッキリ条件が書いてあるのですが、なぜかこの部分はメッセージであまり語られません。むしろ「相手が悔い改めなくても赦しなさい。」と暗に教えているところが多いのではないでしょうか?

 

3.戒め、悔い改めたら、赦す、がホンモノの愛

 

しかし、聖書は、相手が悔い改めたら赦すように教えています。

「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。

     そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。」 ルカ17:3

村上密氏のブログ「赦しなさい?」がよく説明しています。
https://maranatha.exblog.jp/13340946/

 

また、聖書は「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい」とも言ってます。つまり、相手の罪を指摘せよということです。

本人が気付かない場合は、その罪を教えてあげないと悔い改めることもできないし、結果、赦されることもないからです。しかし、このように教えてる教会は、ほとんど無いと思います。むしろ「裁いてはいけません。」というブレーキをかけています。

これについてはブレス聖書信仰者さんのブログが良く説明しています。
http://inochinomizu.hatenablog.com/entry/2017/07/06/082457

 

4.悔い改めの無い、赦しはニセモノ

戒めも悔い改めもなければ、健全な教会は期待できません。さらに被害者が相手を赦さないこと(赦せないこと)を、責められることもあるそうです。

確かに、私も「赦せ」と教えられ、悔い改めてない人を赦し続けてしまい、、、、その人たちは、とても残念な実を結んでしまいました。なぜなら、

それは「罪を続けても、いいよ~!」という罪を容認することだからです。

 

勿論特別な場合はそのまま赦すべきです。

例えば、(死去して)相手に会うことができない、いくら言っても悔い改めない、相手のことで傷つきすぎている場合等々です。そんなときは相手がどうであろうと赦せるものなら赦して、サヨナラ!ですね。

 

5.ホンモノの愛


愛という言葉は気をつけないといけません。世の中にはニセモノの愛が多いからです。「悔い改めなくても、赦しなさい(赦されている)」は罪を容認することです。

これは、「罪のままでOKだよ~」さらに「それは罪ではないよ~!」という、甘い甘~い耳障りの良い福音ニセモノの愛へとつながっていくでしょう。最近このような何でもOKという聖書を否定する愛が蔓延していると実感します。


「誰も健全な教えを聞こうとしない時が来ます。その時、人々は耳触りのよい話を聞こうと、好き勝手に教師たちを寄せ集め、真理から耳を背け、作り話へとそれて行くようになります」2テモテ4:3,4
 

キリストの愛は「悔い改めたなら、赦しなさい。」です。

つまり、   「悔い改めない人は、赦してはいけません。」

そして、   「悔い改めない人は、戒めて(悔い改めに導いて)あげる」のです。


終末が近づいていると感じる今日この頃、

         ぜひ、「ホンモノの愛」について考えてみてください。

赦す と 許す - 聖書の知恵 (hatenablog.com)