聖書の知恵

主を恐れることは、知恵の初め ―聖書―

教会で何するの?その2-家族同士の交流-

教会とは、神の家族です。「教会で何するの?その1」では、神との交流、「礼拝」について考えましたが、「その2」では家族同士の交流、兄弟姉妹との交流を考えてみたいと思います。教会の交流は以下のような特徴があります。


1 いつでも神を中心にした交流

 

「二人または三人がわたし(イエス)の名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ8:20)


神無きおしゃべりサロンになってはいけません。いつでも主に導かれる交流です。


2 神の御前に皆、同じ兄弟姉妹

「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ3:28)


私達は神の子として同様に愛されています。社長と従業員というような上下関係はありません。
ただ与えられた才能の違いによって役割分担があります。その役割に関しては、普通担当者に決定権が与えられています。(絶対的ではありません。)
また、自分より、先に信仰をもった先輩の言うことは、経験者として、真摯に受け留めましょう。
兄弟姉妹ですから、何でも話ができるはずですが、実際は、組織的な壁や伝統的な壁があるのか、自由な交流が難しいことがよくあります。

しかし、何でも言える関係を目指しましょう!


3 聖書についての交流


多くの教会では聖書の学びが、牧師から信徒への一方通行になっています。使徒行伝では、時には激しい論争が起きています。そこまで行かなくても、学んでいる内容についての話し合いは必要です。疑問や質問、意見などを自由に交換し合いましょう。


4 証やメッセージ、新たな情報や奉仕


一般信徒が神の体験を話す「証あかし」はどこでもやっていますが、少な過ぎます。さらにメッセージをするチャンスは、まずありませんし、自分の職場や環境で得た情報を提供する機会もまずありません。また、それぞれの得意分野を活かしたクリエイティブな奉仕をもっとやるべきです。せっかくの賜物が死んでいます。

祈りましょう!

主よ!私の強み(賜物)何ですか?

それをどのように、用いていけばよいですか?

それを実行する仲間は誰ですか?


5 問題を分かち合う


家族ですから、何か問題があれば、分かち合って、共に祈り、話し合い、出来ることがあれば助けの手を指し出します。自分の弱さを共有しましょう。
ところが自分をよく見せる、サンデークリスチャンが多いようで、残念です。教会に行って疲れて帰って来るなんて、有り得ません!


6 (当事者でないものが)互いに罪を告白する


「だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。」(ヤコブ5:16)


これは、ハードルの高い交流です。個人情報の守秘義務を保てる信頼関係のもとで自分の罪を告白すると、赦された実感や癒しが起きます。一人で悔いあらためるのとは違った素晴らしい効果があります。
ところが、多くの教会はこれを禁止しています。混乱を起こしやすいし、カルト化した教会が悪用しているのが理由です。実は、キリスト教系の依存症自助グループ(AA、GA等)では「12ステップ」というプログラムで、互いに罪を告白しています。クリスチャンというわけではないのですが、素晴らしい効果を発揮しています。本来は教会でやるべきことなのに、残念です。

 

7 (当事者同士で)罪の指摘、謝罪、和解をする


「もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい。 」(ルカ17:3)


最後に一番難しいのが当事者同士で、罪の指摘し、謝罪し、和解するという交流です。これはキリスト教の王道、基本ともいうべきものですが、実際には残念なくらい少ないです。
理由の一つは「裁いてはいけません。」(マタイ7:1)の間違った解釈です。

9割の人が「裁いてはいけない」を誤解している! 「批判していけない」という意味ではない。 (youtube.com)

裁いてはいけませんか? - inochinomizu’s diary


現在、以上7つの特徴をもった教会がとても少ないし、益々減ってきていると思います。
「家の教会」では、比較的このような交流ができていて、素晴らしいと思います。でも、十分ではありません。

ですから家の教会同士、そして同じ信仰持った一般教会とも連携して、少しずつ信仰のの家族を作り上げていけたらと思っています。

教会とは? - 聖書の知恵